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幸せの鍵は?

人生を幸せにする鍵となるものとは何でしょうか。名声や富…そう考える人が大勢います。しかし、ハーバード大学の心理学者、ロバート・ウオールディンガー氏によると、それは間違っているそうです。

 

昨年、彼は「TEDトーク」を通じて、75年かけて研究した幸せになる方法を発表しました。724人の男性を追跡調査し、仕事、家庭生活、健康などを記録したそうです。ハーバード大学を卒業した人たち、あるいは極貧環境で育った人たち、と違った背景の人々を追跡調査したわけです。結果、人を健康で幸福にするのは、「良い人間関係」に尽きるということが分かったのです。

 

すなわち、愛し愛される関係の中にいるということですね。心理学者も声をそろえて、人間には「愛されたい、また、受け入れられたい」という根源的ニーズがあると言っています。ですから、親子や夫婦、職場の同僚関係など、様々な人間関係において信頼し合える良い関係を築くこと、これが幸せに至る最も大切な鍵の一つといって良いでしょう。

 

そして、お互いに本当に愛し合うためには、愛の源でおられる神様の愛をまず受け入れて、たっぷり自分が愛されているという経験をする必要があります。誰がなんと言おうと、こんな自分をありのまま受け入れて下さり、愛してくださる方が神様なのです。あなたがクリスチャンであろうとなかろうと、神はあなたのことを愛しておられます。

 

そして聖書には、「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛した」と書いてあります。

 

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:9〜10)

 

まず、ゴスペルを通じて、神の愛を知り、その愛をもってお互いに愛し合うという愛のトレーニングをしてみませんか。

 

あなたは愛されるために生まれてきた人

人生を生きる中で、時々、こういうことを考えたりします。
「自分は何のために生まれてきたのだろう…」
これに対して、次のように答える方がおられるかもしれません。

「私なんか不幸になるために生まれてきたみたい」
「私はただひたすら働くために生まれてきた人みたい」

 

勿論、自分から進んで(自分の意思で)生まれてきた人は誰もいません。ふと気付いたらすでにこの世に生まれていて、人生が始まっているのです。ですが、一つ、必ず知らなければいけないことがあります。それは、すなわち「あなたは愛されるために生まれてきた人」だということです。ゴスペルの曲のうち、「君は愛されるために生まれた人」という有名な曲があります。歌詞の内容は次の通りです。

 

君は愛されるために生まれた人

 

作詞・作曲  イ・ミンソプ(訳詞 神 明宏)

 

君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている
君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている
 
永遠の神の愛はわれらの
出会いの中で実を結ぶ
きみの存在が私には
どれほど大きな喜びでしょう
 
君は愛されるため生まれた
今もその愛 受けている
君は愛されるため生まれた
今もその愛 受けている

 

「あなたは愛されるために生まれた」という言葉ほど、素晴らしい言葉は他にありません。
親は子どもを見てこういう風に思うべきですね、
「この子は、愛されるために生まれてきたんだ」と。
また、自分自身に対しても、愛されるために生まれてきたということを認めなければいけません。

 

幸せとは、愛されて生きること、それこそが本当に祝福された人生なのです。

親から愛されている子どもが、祝福された子どもです。
「勉強するために生まれてきたのか?」違います。勉強も、愛されるためにするわけです。
お金を稼ぐのも、愛し合いながら生きるために稼ぐものです。なのに、一生懸命に勉強しても憎まれてばかりで、懸命に仕事しても悪口を言われたり、苦しめられるのは不幸です。

 

驚くべきことに、神様は私たち一人ひとりをとても尊く愛しておられるということです。
聖書は神からのラブレターであるといいます。神様の愛が私たち一人ひとりに注がれているのです。

 

私たちは神様の愛を知ることによって、心が豊かに潤ってくることが分かるのです。
どうか、ゴスペルを通じて、素晴らしい神の愛を知り、人を愛し、愛される喜びの中で
より豊かな人生を歩むことを願います。

道であり、真理であり、いのちであるイエス・キリスト

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)

 

人は愛なしには生きられません。誰かに愛されている、誰かを愛しているという「愛の実感」がある時に初めて、生きている実感がわくのです。人間の愛には限界があるけれど、「愛の源」でおられる神様の愛を知る時、また神様からいかに自分が愛されているのかに気づかされる時、私たちは真の愛を交わしながら生きることができます。

 

だとしたら、どうすれば神様を知り、また神様の愛を知ることができるのでしょうか。
結論から言いますと、答えはイエス・キリストにあります。

 

人間は理性を通して神の存在を認識することはできても、そのお方がどういうお方なのかは知るすべがありません。私たちが人生を生きるうえで、彷徨ったり悩んだりする理由は、結局のところ、神を知らず、真理を知らないからです。

 

イエス・キリストは「私は道であり、真理であり、いのちである」と言われました。キリストご自身がまさに、神様のみもとに行く道であり、真理であり、いのちであるということです。真理とは「(神の)御言葉」が肉となられたキリストご自身であるということです。そのお方がどのように生きたのか、その生き様を通して、人間が本来生きるべき「道」「真理」が明らかにされたのです。

 

二千年前に私達の死と罪を解決するためにこの世界に来られ、私達の身代わりとなって死んでくださったお方、イエス・キリストを通しのみ、神様を知ることができ、そのお方のみもとへと至ることができるのです。そして、どんな罪も、どんな過ちも、十字架の上でキリストが負って下さったのです。許されない罪は一つもありません。このキリストの愛を知る時に、私達は愛する者にかえられていくのです。

 

キリストを信じ、そのお方を受け入れる者は誰でも救われ、神の子となる特権を与えられるのです。

 

イエス・キリストは「神の啓示(Revelation)」なのです。

 

人を愛するために必要なこと

人は誰もが愛しながら、また愛されながら生きていきたいという望みを持っています。人間の心は、愛で満たされ愛に生きる時こそ、幸せを感じます。しかしながら、愛したいと思い、また愛されたいと思っているのに、なぜか人間同士、本当の意味での愛し方ができないのはどうしてなのでしょう。それは、いかに愛すれば良いのか、愛し方が分からないのではないでしょうか。ですから、ある意味、「愛」を学ばなければなりません。

 

「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」(1ヨハネ4:8)

ゴスペルの根幹となる聖書は始めから終わりまで「愛」について語ります。

 

神ご自身が「愛」であると語るほど、神は愛に満ちたお方です。神の愛は、私たち人間の思いをはるかに超える、とてつもなく大きな愛です。ですから、イエス・キリストを通して示された神の愛、これを知る時に初めて「真の愛」というものが分かり始めてくれるのです。キリストの十字架を通して私たちに示された神の愛とは、アガペーの愛といい、「無償の愛」です。人間の「価値を求める愛」「自分を満足させる愛」とは違って、相手のために犠牲する愛なのです。

 

人を愛するために必要なことは何でしょうか。
それはまず、神に愛されることです。

 人は自分のうちにないものを誰かに与えることはできません。自分にあるものだけを与えることができます。そういう意味で、人を愛するためにはまず自分の心の器を神の愛で満たす必要があります。尽きることのないその愛にたっぷり浸され、キリストから愛を学ぶ時に私たちは真の意味で人を愛することができるようになるのです。聖書を通じて、素晴らしい神の愛に出会い、喜びに満ち溢れる人生をはじめてみませんか。